谷口農園 | 壬生菜
農業のこれから
大切な家族を思い。生まれ育った地域を思い。「農業の、これから。」を思い。
就職や進学で一度は地元を離れたものの、様々な思いを胸に、20代という若さで帰農した農家さんにもお話を聞かせてもらいました。お爺さんの後を継ぐ、隔世農家として。代々の家業を守る、女性農家として。
販路や担い手、農地といった、昔から農業が抱えるテーマと向き合いながら、モダンな帰農スタイルで今を生きる、京都府北部エリアの若手農家さんをご紹介します。
谷口農園の、モダン帰農。
谷口農園(南丹市日吉町)
ブランド京野菜・京壬生菜の産地に指定されている日吉町で、江戸時代から続く専業農家。日吉町でも京壬生菜をつくる生産者は15~16軒と少なく、三世代での家族経営は谷口農園だけとあり、農業に勤しむ父の背中を見て育った谷口光里さん(27歳)が15代目となって家業を守る。
エコ農業を、女性視点で。
若手も若手の20代で、まだまだ珍しい女性の専業農家さんを訪ねた。谷口光里さんは、歴史ある農園を祖父母や両親と一緒に守りながら、個人事業主としても独立していて、「今年から自分用のハウスでも、有機肥料と無農薬で野菜をつくっています」と嬉しそうに笑う。
元々は看護師を目指していた光里さん。それが福祉の大学を卒業後、東京にある学校で農業の経営を学び、Uターンして今度は農業改良普及センターの就農サポート講座やJAの栽培講習会なども受講し、お父さんのもとで栽培技術を習得したそう。
「父が農業を継いだ時代は兼業農家が多く、専業農家は少なかったそうです。実家を継ぐものだと思っていた兄が農業とは別の道へ進んだこともあり、専業農家で頑張ってきた父の後を継ぎたくて、大学卒業前に帰農を決めました」
一般的な量よりも半分以下の減農薬で京壬生菜を栽培してきた、有機志向のお父さんからも影響を受け、光里さんは化成肥料を使わずに、牛ふんや米ぬかといった地域から出る有機肥料にこだわっている。
無農薬にもチカラを入れている光里さんの目標は、身体に安心・安全な農業。 「結婚しても農業を続けて、子どもを産みたいので、散布する側としても、農薬はなるべく使いたくありません」
家族から独立した、一人の専業農家としてのプライドはもちろん、お客さんの目線にも立って。育てる野菜は、自分自身で「買いたい」と思える品質にまで上げることも意識しているとか。有機肥料や無農薬へのこだわりと共に、「味はもちろん、見た目もキレイに。 旬の野菜は色が似ているので、彩りも考えて出荷しています」という心配りも、 女性農家さんならではのように思えた。
京野菜の壬生菜を育て、小豆を守る。
京都の伝統野菜である壬生菜といえば、シャキシャキしてピリッと香る京漬物でおなじみ。洗って生のまま味わえる谷口農園の京壬生菜は、黄色味を帯びた鮮やかな緑が美しく、 柔らかくて風味も格別。漬物やサラダはもちろん、煮ても焼いても美味しいと人気だそう。
「壬生菜は本来、そんなに肥料を必要としません。年に一回ビニールハウスに有機肥料をやり、植物のチカラだけで育てています」栄養を与えすぎたり、窒素が過剰だと黒くなって傷みやすく、しかも栽培は機械化できないデリケートな壬生菜。そこで、土の性質もまた重要だという。
「土壌は水漏れしないようにつくられた、保水性に富んだ田んぼの土がベースになっています。根菜には向かない、壬生菜の栽培に適した土壌ですが、水分はあり過ぎてもダメなんです」年一の肥料と必要最低限の水で育て、収穫前には水をやらないなど、水分量にも気を付けている。
代々米をつくり、曾お爺さんの代は葉タバコ、お爺さんの代では養鶏をメインに花や野菜も育て、お父さんの代になって30年以上前からスタートした、有機肥料による京壬生菜の周年栽培。
当初は養鶏も兼業しながら少しずつビニールハウスを増やし、米と野菜の専業農家となって光里さんも帰農した現在、京壬生菜を栽培するハウスの数は24棟にまで拡大している。「家業と一緒に、空いてくる農地も守っていきたい」と光里さんは話す。その地をどう活用するかも考えていて、「再来年ぐらいには自分のハウスを、今ある3棟から8棟へと増やす予定です」と意気込みを聞かせてくれた。
Photo by:Takashi Kuroyanagi
Writer:socko
Farmer:谷口農園